〈問い〉
「治安維持法」は古い昔の話と思っていましたが、「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」とはどういう団体なのでしょう。(一読者)
〈答え〉
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(略称「国賠同盟」)は一九六八年に設立されました。
治安維持法は、一九二五年に実施され、太平洋戦争の敗戦後の一九四五年十月に廃止されるまで、当時の天皇制政府の絶対的な権力が国民をおさえつけ、権力にしたがわせる法律として暴威をふるいました。拷問で虐殺されたり獄死したりした人が百九十四人、獄中で病死した人が千五百三人、逮捕・投獄された人は数十万人におよびます。日本共産党の宮本顕治氏も十二年にわたる獄中生活をよぎなくされました。
この法律は思想そのものを犯罪とするもので、天皇制の政治体制をかえて国民主権の政治をうちたてようとする政党の幹部は最高死刑という重罰を科するものでした。また、そういう政党の活動に少しでも協力するだけで犯罪とされ、最後には宗教者や自由主義者まで弾圧の対象とされました。
戦後の民主的改革のなかで当然この法律は廃止されましたが、自民党政治をすすめた勢力は、治安維持法の被害者に謝罪や損害補償をしないばかりか、戦前の弾圧を正当化したり、反動的な法律を復活しようとすることまで企図してきました。
これにたいし、当時の犠牲者の人びとを中心に、治安維持法の時代の実態やその教訓を後世につたえるとともに、治安維持法など戦前の悪法で弾圧の被害をうけた犠牲者たちに国として謝罪をし、国家賠償をおこなう法律を制定するよう運動をすすめる組織をつくったのです。直接に被害をうけた人たちのほか、この目的を支持する人たちも同盟に加入しています。
「国賠同盟」が毎年30万筆を超える署名を集め、年平均137人の紹介議員を得て、「治安維持法犠牲者に国家賠償法の制定を求める」国会請願を行い、また、地方議会に働きかけて、同趣旨の請願・趣旨採択が354議会に及んでいますが、未だ国会での審議・採択に至っていません。
不屈 橋本・伊都支部版 №2 2010.2.15発行