時の焦点
3・15大弾圧事件
3月は国賠同盟にとって特別の意義をもつ月です。
「殺せ、殺せ一え!」、小説『一九二八年三月十五目』の中で多喜二は主人公の渡が小樽署で太い針を身体に刺されても頑張る姿を「うん、うん捻りながら」書きました。
1928年3月15日未明、特高警察による共産主義者、同調者など1600人余の大検挙が全国1道3府27県で一斉に行われ野蛮な拷問と取り調べが行われました。
治安維持法は1925年(大正14)年4月に公布されて以来、日本帝国主義戦争の敗北までの20年間、侵略戦争の反対者と国民を圧殺し続ける「弾圧装置」でした。
治安維持法は、この年の6月には天皇の緊急勅令によって「死刑法」「目的遂行罪」が付与され、翌年の帝国議会で反対の論陣をはった山本宣治は3月5日、神田・光栄館で右翼によって刺殺。続く4月16日の大弾圧。最初は共産主義者と同調者へ、やがて知識人、宗教者にまでおよび、天皇は1936年、共産主義運動圧殺が「完結」したとして特高警察、思想検事ら娼名に叙勲と金銀杯を下賜してその功績を讃えたのです。これらのメンバーは、戦後の断罪が不徹底なため公安警察の復活への足掛かりとして残され、多喜二虐殺の真犯人、警視庁特高・中川成夫は戦後、東京北区の教育長にまでのぼり詰めていました。
今日、革新勢力へのビラまき弾圧、公安警察や自衛隊情報保全隊の暗躍など治安維持法の現代版ともいうべき事態や、教職員への「君が代」起立までチェックする教育委員会、新「防衛大綱」の動的防衛力の導入など、「戦争する国」への国家体制が進んでいます。これらを国民に広く知らせ、戦前、国民を戦争に駆り立て、アジア全体で数千万人の犠牲者を生んだ治安維持法支配体制の歴史的事実を、国民共有の歴史認識にまで高める努力は、同盟活動の基本ともいうべき活動です。この月、各地の取組みの前進を。(藤田)
不屈 中央版 №441 7面 2011年3月15日(毎月15目発行)