五、歴史の真実をゆがめるもの
3 南京大膚殺はまぽろしか
アジア太平洋戦争をアジア民族解放戦争といいくるめようというゴマカシのほかに、この戦争中におこなわれたたくさんの残虐行為をうち消してしまおうというゴマカシがあります。そのうち、代表的なものは南京大虐殺と従軍「慰安婦」です。
一九三七年12月、日本軍は南京を占領しました。将介石はその数日前に南京を脱出しましたが、市内には多くの中国兵が残っており、降伏して捕虜になったり、軍服を脱ぎすて民間人のなかにまぎれこんだりしました。日本軍はその後約二か月間にわたり、兵士・民間人、男女の区別なく皆殺し作戦をはじめ、十数万人から二〇万人ほどの中国人を虐殺しました。この事件は戦後の東京裁判であきらかにされるまで、日本国民には知らされていませんでしたが、連合国側では虐殺のはじまった直後から新聞で報道され、世界中に知れわたっていました。戦後になって日本人自身の手によってこの事件の全容をあきらかにしようという研究もはじまりましたが、同時にそんな事件はなかったという「南京大虐殺まぼろし」説もあらわれるようになりました。しかしその後、つぎつぎと新しい資料や証人があらわれ、旧陸軍将校の団体である偕行社が「まぼろし」説を支持しようとして原稿をあつめたところ、「虐殺は事実だ」という原稿もよせられ、ついに虐殺の事実をみとめ、「中国人民に深く詫びるしかない」とのべるにいたったというエピソードまであって、最近は「まぼろし」説はさすがに影をひそめたようです。もっとも、最近でも映画『プライド』のなかで、南京大虐殺の証言がとりあげられたのをきいて、東条が「わが皇軍の兵士たち」がそんなことをするはずがない、証拠もない伝聞だといって涙を流す場面があり、また熊本県議会へは、元熊本歩兵第一三連隊をはじめ当時の戦闘参加者の証言では、「虐殺というべきものについては誰一人見た者も聞いた者もなく……全く事実無根」なので、こういう証言も教科書にのせてほしいという請願もだされていますが、しかし南京大虐殺の犠牲者数については説は分れるものの、この事件の存在と、それが軍上層部の命令によるものであることについては、疑う余地はありません。とくに元ナチスの党員で、当時南京にいて難民救済の国際委員会の委員長であったジョン・ラーべという人の日記が公表され、昨年(一九九七年)、『南京の真実』という題で邦訳が出版されたことで、「まぼろし説」はトドメをさされたといってよいでしょう。
犠牲者の数については、虐殺のおこなわれた地域と期間をどう考えるか、また投降者や捕虜などの殺害を戦闘行為のうちにふくめて虐殺の犠牲者にはふくめないかどうか、などによってかなりの差がありますが、さきにのべましたように、十数万から20万ぐらいというのが、良心的な研究者のほぼ一致した数です。
「戦争責任と国家賠償」 浜林正夫から