治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟 和歌山橋本伊都支部
2021-05-13T14:48:22+09:00
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不屈 橋本伊都支部版 維持法犠牲者国家賠償要求同盟 和歌山橋本伊都支部web
Excite Blog
更新
http://itohasmoto.exblog.jp/3465589/
2021-05-12T23:29:00+09:00
2021-05-13T14:48:22+09:00
2006-05-19T22:53:36+09:00
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ご案内
不屈和歌山伊都橋本支部版
【私たちの運動】
ふたたび戦争と暗黒政治をくりかえさないために、治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)の制定をもとめる平和・人権・人道の国会請願署名運動など精力的に取り組んでいます
【不屈和歌山伊都橋本支部版ブログ】
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山伊都支部のブログです。憲法の話題、平和と戦争の話題、暮らしの話題、短歌、俳句、川柳など機関紙「不屈橋本・伊都支部版」「不屈和歌山県版」等への支部会員の投稿記事を中心に身近な話題を掲載しています。
治 安 維 持 法 犠 牲 者
国 家 賠 償 要 求 同 盟
和 歌 山 伊 都 ・ 橋 本 支 部
==========================================更新 2013.05.12
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復活第2号 編集後記
http://itohasmoto.exblog.jp/29512332/
2021-04-10T11:40:00+09:00
2021-05-06T11:56:14+09:00
2021-05-06T11:56:14+09:00
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支部活動
復活第2号 2021.4.10
【編集後記】
皆さま、「国賠同盟」復活第2号がやっとできましたので是非ご覧ください。この「不屈」第2号の巻頭にもありますように私たちの運動の基本は、「ふたたび戦争と暗黒政治を許すな」であり、この第2号もこれに基づいて、学術会議での菅首相の「任命拒否問題を許さない」、「2年間にわたるコロナ禍の中で、国を挙げての無為無策ぶりを糾弾する」、「戦後75年を超えてなお残る戦争の悲惨さを告発する」などをテーマといたしました。
皆さま、ご意見やご感想などあれば、下のアドレスへ届けてほしいです。今後、橋本・伊都支部の「不屈」は、三か月に一度程度発行いたしますので、よろしくお願いいたします。
なお、巻頭の上野千鶴子教授の文章は、この会の古倉伸二代表からいただきました。その後、古倉代表から、「赤旗」4月1日号にも学術会議任命拒否問題を糾弾するために、現学術会員の高山佳奈子京都大学大学院法学研究科教授のアピールもあると教えられ、紙面の都合で載せられないので、「推薦は生きています。」と勇気ある発言をした彼女の写真だけ載せさせてもらいます。
また、上の挿絵は核兵器全廃による平和世界をつくるための子供逹の声を表現したものです。
今後ともよろしくお願いします。
事務担当員 木ノ本 豊
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ダッシュ 政権交代へ
http://itohasmoto.exblog.jp/29512315/
2021-04-10T11:33:00+09:00
2021-05-06T11:38:49+09:00
2021-05-06T11:38:49+09:00
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支部活動
2021.4.10 復活第2号
いよいよダッシュです
いのちと暮らし守る政権交代へ
髙本 勝次
新型コロナウイルス感染症が、緊急事態宣言解除後、再び拡大し始め、ワクチンが効かないかもと言われる変異ウイルスもかなりの勢いで、増え続けています。
政府は、自粛要請を言うばかりで、ひっ迫している医療機関への支援、事業者への自粛・休業補填、高齢者・福祉関係施設での定期的PCR検査等々、国費で抜本的に実施していません。ワクチン接種と同時に、コロナ検査を大規模に実施し、感染者を囲い込む体制・仕組みが必要です。
国民のいのちと健康を守るために、もうこれ以上、菅内閣の無為無策のコロナ対策を放置させることはできません。
どこまでも医療崩壊するのか
こうした現状にもかかわらず、政府は、全国の公立・公的病院を統廃合し、補助金を出してまで地域から病院をなくそうとしています。
さらにまた、75歳からの後期高齢者から、医療費窓口負担を、いまの1割負担から2割にし、医療費を2倍にしようとしています。年金の少ない高齢者は、ますます診療を控えて、重症化させる事態を引き起こしかねません。
総選挙で政権交代させよう
今年の秋までに、早ければ夏の時期に解散総選挙があります。政権が菅内閣に代わって、たくさんの問題が吹き出しています。コロナ対策、学術問題、官僚接待問題、河井議員の選挙買収事件、くわえて、森・加計問題、「桜を見る会」もなに一つ真相解明されていません。
いま、オール野党で選挙協力の協議が始まっています。ぜひ、子どもたちの未来に夢と希望、平和を残すために、総選挙勝利に頑張りたいと思います。
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ばあばさまの声
http://itohasmoto.exblog.jp/29512303/
2021-04-10T11:19:00+09:00
2021-05-06T11:30:13+09:00
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支部活動
2021.4.10 復活第2号
子や孫たちに同じ思いさせない
(ある、ばぁばさまの声)
聞き取り人 九鬼 堅
2000万人を超えるアジアの人々と310万人以上の国民の犠牲を生んだ日本の侵略戦争は、1945年8月15日、連合国によるポツダム宣言を受諾し敗戦した。既に戦後75年を経過、遺族の多くの方々は既に亡くなり遺児達も高齢期を迎えている。
此の彼岸も先祖が眠る共同墓地に家族で参拝した。墓地には戦死者の墓碑が、戦没地や年齢などが刻まれている、多くは青年達だ。ふと、国賠の橋本・伊都版の記事のことが頭をよぎる。
ある遺児宅を訪問、彼女は偶然にその日が83歳の誕生日であった。昭和15年3月27日に召集になった父は、中国戦線を転戦、太平洋に戦線が拡大される中でニューブリテン島、ラバウルを経てソロモン群島のガダルカナル島の激戦に参加、昭和17年11月10日頭部に銃弾を受け戦死。2歳で出生した父との面会は戦歴を記した軍隊手帳とともに届けられた遺骨となった。村による合同葬が小学校で昭和18年12月3日県知事などの弔辞が読まれるなど執り行われた。遺児は母と女手2人、戦後も厳しい生活が長く続いた。
中学卒業後、定時制高校に通いながら仕事に、初任給3000円の時代、母との生活は切り詰めたものであった。その後結婚することで少しゆとりが。その矢先、苦しい時代女手一人で育ててくれた母、59歳の若さで他界する。戦後の混乱期、青春真っただ中を生き抜いた頑張り根性はその後の生き方のバックボーンとなっている。
就職先となった職場には労働組合があり仕事にも運動にも活力にあふれていた。そこで見聞きした日本がおこした戦争のこと。アジア人民の解放などではなく世界の列強に割り込み領土拡大に突き進む日本帝国主義の野望であったこと。そこに父が赤紙一枚で動員されたこと。多くの私と同じ遺児を生むことになったこと。それへの怒りは一生消えないと吐露。共感のひと時となった。
時あたかも今朝のNHK、BS「澪つくし」でかおる(沢口靖子)が夫の戦死に遭遇し二人の子供に戦争の動きがあれば止めるのが貴方達の使命と諭す場面が映し出されていた。
写真↓ 遺骨とともに持ち帰られた軍隊手帳
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大きな代償大きな代償
http://itohasmoto.exblog.jp/29512288/
2021-04-10T11:09:00+09:00
2021-05-06T11:14:31+09:00
2021-05-06T11:14:31+09:00
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支部活動
2021.4.10 復活第2号
無関心には後々の大きな代償が 細川豊三郎
菅内閣は日本学術会議委員6人の任命を未だ理由を説明せずに拒否したままです、政府に楯突く者には容赦しないと学問の自由を脅かして戦前のように学者を戦争準備にうむを言わさず協力させようと画策しています。ところが私はこの重要なこの問題が新型コロナの感染拡大で関心が薄れることを心配しております。私達は自分には直接関係ないと無関心であってはなりません。
すでに安倍内閣では暴力団対策だから一般人には関係ないと共謀罪を、そしてアメリカ等の友好国からの機密情報を得られないとの理由で機密保護法を麻薬取引を取り締まるためと盗聴法を成立させました。これらの法律は普通の人には関係ないと政府はさかんに宣伝していますが、これらの法律は政府の恣意的解釈や改悪で一般人も犯罪人になってしまう悪法で決して無関心であってならないと思います。
治安維持法も制定された当時は国体の変革を目指す共産党員が対象で一般人は関係ないと宣伝され大部分の国民は自分には関係ないと無関心であったかも知れませんがこの法律も何回かの改悪で最終的には一般人も捕まえてしかも死刑を最高刑に改悪されました。このように無関心でなにも行動しなかった結果を私はあるドイツ人のつぎの詩を教訓にしています。
ヒットラー率いるナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、なぜなら私は共産主義者でなかったから。つぎに社会民主主義者が牢獄に入れられたときも、私は声をあげなかった、なぜなら私は社会民主主義者でなかったから、つぎに労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は労働組合員でなかったから、そしてナチスが私を捕まえに来たとき私のために声をあげる者は、誰一人も残っていなかった。
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日本学術会議問題の真相をさぐる
http://itohasmoto.exblog.jp/29512279/
2021-04-10T11:01:00+09:00
2021-05-06T11:06:04+09:00
2021-05-06T11:06:04+09:00
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支部活動
復活第2号 2021.4.10
日本学術会議問題の真相をさぐる
日本学術会議は、2020年末に会員の半数が任期満了となり、改選される予定でした。「日本学術会議法(以下、日学法)」の第7条2項によれば、会議の会員は学術会議の推薦に基づいて、首相が任命するはずであるのに、このうち6名の会員が任命拒否されたままで、菅首相は、その理由を今に至るまで、国民の前に何も明らかにしていません。明らかにこれは「学問の自由」、「思想の自由」を侵害するものにほかなりません。
以下に、上野千鶴子東京大学名誉教授(富山県出身、社会学者)のご意見を載せさせていただきます。
スタートしたばかりの菅政権が、学術会議の第25期新会員6名の任命拒否をしたと報ぜられたと、最初に思ったのは「そこまでやるか」というショックと、「とうとう来たか」という危機感であった。どんな出来事にも歴史的背景と経路依存性というものがある。(中略)
安倍前政権の時代から、官邸は本来独立性を要求されるポストに手を突っ込むことで反対派を排除し、政権運営をやりやすくしてきた。安倍前政権の忠実な後継者をめざす菅現首相は前政権の官房長官という番頭役として人事案件の矢面に立ってきた当の人物である。思い出してほしい。
最初のタブー破りの人事は、日銀総裁への黒田東彦氏の就任だった。リフレ政策と異次元の金融緩和に踏み出すことで政府の金融政策を掣肘する日銀の独立性は失われた。
次にNHKの会長人事に元三井物産副社長だった籾井勝人氏を充てた。就任時の会見で「政府が 右 と言ってるのに我々が 左 というわけにはいかない。」と発言して物議をかもした。
これ以降、「皆様のNHK」は、「アベ様のNHK」と呼ばれるようになり、NHKは「国策会社」と揶揄されるようになった。以降、NHKの番組が劣化したのはご承知の通りだ。次に安全関連法制を視野に入れて、内閣法制局長官を法律に詳しいとは言えない外務省出身の小松一郎氏に置き換えた。憲法が右から左まで「違憲」と判定する「集団的自衛権」を合憲と認めさせ、解釈改憲を成し遂げる共犯者に仕立てた。
(中略)
いずれのポストも政府に任命権があるが、政府からの相対的な独立を要求される政府機関であった。ましてや官僚人事では、官邸主導で政府に反対する官僚が更送されたり、左遷されたりは枚挙にいとまがない。公文書改竄に協力した佐川宣寿前理財局長は、国税庁長官に栄転する報償人事を受け、そのもとで改竄を強いられた近畿財務局の職員、赤木俊夫さんは無念の自死を遂げた。
それがあらぬか、国家公務員の志願者は年々減少しているという。これが戦後最長の政権と呼ばれた安倍政権の残したツケである。顧みて慄然とする。
その後継政権を名乗る菅政権は、ついに学術会議の人事にまで手を出した。踏み越えてはならない一線を越え、やってはならない違法行為に手を出した。学者は真理にしか奉仕しない。論理とエビデンスがその武器である。その学者の集団に対して、全く何の説明もなく、推薦候補に対して6人の任命拒否をした。それも前期の任期が切れ、新会員の任期が始まる2日前のことである。新会員からなる25期学術会議は直ちに総会で、説明と6人の任命を求める簡潔な決議を決定した。それに対する回答は今日に至るまで、ない。
日本の学者コミュニティの名誉にかけて、政権との闘いに負けるわけにはいかない。
(中略)
アカデミックパージの連携プレー
学術会議の任命拒否を受けて、『世界』2020年12月号で昭和史家の保坂正康さんと対談した。
この出来事を戦前の滝川幸辰事件や美濃部達吉の弾圧事件に比する人は多いが保坂さんはそれ以上の動き、「アカデミックパージ」に匹敵するという。「レッドパージ」の時には根拠のない証言や密告で多くの人たちが職を追われた。理由を示さない排除に、憶測や忖度が働き疑心暗鬼が募る。そして自己規制が始まり、周りの顔色を見て同調するファシズム迄はあと一歩だ。
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支部総会3部 感想文
http://itohasmoto.exblog.jp/29512266/
2021-01-09T10:54:00+09:00
2021-05-06T10:57:23+09:00
2021-05-06T10:57:23+09:00
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支部活動
復活第1号 2021.1.9
橋本伊都支部総会
第3部 参加者からの感想文
参加者に感想文依頼をねがったところ、以下の方々からいただきました。
N・Sさん
終戦から70数年、数々の事象があったように聞いております。
この竜神村の一件も、大変なことがと 映画を観てしりました。
この竜神の山の一件も、私たちが住んでいる橋本駅にも飛行機による事件が、今でも語りつがれています。
今日も、テレビのニュースで、広島県のある島で毒ガスによる、イヤナ思いが今も伝わっています。これら語りの語り草がないような平和な日々を送りたいものですね。
地球が一つです、全住民が仲良く生きたいものですね。
私も77歳、家内が亡くなって8年、元気で過ごしたいものです。
よろしくお願いします。
☆ M・K さん
映画(轟音)と講演」、ありがとうございました。
今後の希望
以前歩いて訪ねた「戸谷新右衛門」の墓所、奈良の「水平社博物館」見学など、興味深い計画でした。 外へ出ることや、他支部との交流など楽しい計画をお願いします。
☆ M・Kさん
ご返事、遅くなって申し訳ありません
先ず、先日の「轟音」、自分の無知を、またひとつ以上自覚させられるいい機会と、気付きとを下さるいい作品と、お話でした。
自分にとって身近な、沢山の思いが沸き起こる作品でした。ただ、このところ自分の老化が著しくて、耳と目の具合が悪く、映像での文字表示すら追うのがやっとで、それも見えづらい程、小文字に感じられるようになっています。もちろんそれ以上に聞き取りが難しく、折角の情報が届かない状態です
その前の〚檻の中ライオン」」の時にも感じた、 ひょっとしてパソコンの不具合? と、勝手な思いかも知れないけれど、音声や映像が充分な音量や画面で内容を伝えてくれていないような気がしました。
だから今回の、テーマは、いったい何なのだろうかと、参加経験が浅すぎる私としては、戸惑いを感じました。多分、こうした会場での伝達の不具合は、新型コロナウイルスによる渦のひとつでもあるはずです。密を避ける手段が、伝達能力を低下させるのです。
折角の題目を、受け止める事ができないと、次の段階に進めないのでは?と思ってしまいました。
又、これを書きながら、自分の老化について悲観した時を思い起こしてみますと、練達した演者の芝居を観ているにかかわらず、座席の位置で聞こえに問題があったらしいのも原因の一つだろうと思えます。
前方の人の頭で死角ができる場合も、映像での問題提起では、考慮の余地があると思えます。
コロナ禍で孤立感が強くなる日を過ごしていると、他との節点は、テレビ以外無くなりました。そのテレビを介して、世界は、PCAI、其の他たそがれを人より、はるかに優れた物らしい物に取って代われるようで、身の置き所もありません。
過去でも未来でもない、今、現在のコロナ禍について語り合ってみるのもいいのではありませんか?それなら是非、参加もさせて頂きたいです
つまらないことしか書けないのに、グズグズと申し訳ありませんでした。
敬 具
K・Sさん
このたびは、良い映画を見せていただきましてありがとうございました。
講演も、とても良かったです。
N・Tさん
早速のお手紙 ありがとうございます。
こんな近くに、戦争中にB29が墜落した事さえ知りませんでした。貴重な映画で知ることが出来て感謝いたしております。
そして先生のお話しを聞かせて頂き、毎日を素晴らしい事に取り組んでおられる事に、感謝と頭の下がる思いでおります。
いつまでもお元気で、少しでも多くの人達に広げていってほしいと願っています。 ありがとうございました。
Y・Nさん
拝 復 先日は 皆様方のご活動の一端としての「映画及び講演会」に参加させて頂き有意義な一時を過ごさせて頂き誠にありがとうございました。
先の戦争及び終戦後の戦争中と変わらぬ不自由な生活を経験した世代の者として、戦争に関わる様々な物語を知りたくて、何も知らずに参加させて頂いた者ですので、ご活動の参考になる様な意見も背景も何もございませんのでどうか悪しからずお許しくださいませ。 只、こんな集いを出来るだけ多くの、特に若い人達を対象にしていただいて、戦争のない平和な時代が続きます様にと切に願っております。
寒くなって参りましたので皆様くれぐれもご自愛くださいませ。
敬 具
M・Nさん
「映画(轟音)と講演」について
日本を攻撃しようとした アメリカの若い兵士たちが、墜落して命を落とした。自分たちの子供もこのように無残に死んでいったのだろうか。 出征していったわが子を想う気持ちは、目の前で痛ましい死に方をしたアメリカの兵士を悼む気持ちと重なり、米兵の慰霊祭を行うようになった。 また、遺品を発掘、保存する運動へと発展していった。 そして、アメリカの遺族とも交流し、平和を誓い合った。
日本とアメリカの兵士を誰が何のために戦わせたのか、その張本人が映画の向こうに見えてくるいい映画、講演だった。
その映画を芸大の若い学生たちが作ったということにも希望がもてた。開催場所、時刻等は、費用のこともあり意見はありません。
M・Fさん
前 略 先日は「映画(轟音)と講演」のつどいに参加させていただきありがとうございました。
何回か、竜神温泉に滞在しましたが、慰霊碑があることもしりませんでした。地元の方が、宗教や、思想信条に関係なく、毎年平和への思いを一つにされていること、すばらしいとおもいます。
私も「高野口、9条の会」で、毎月憲法の学習を進め、意見交換していますが、その中である方が「今コロナ禍での自粛のゆきすぎは、戦争前夜につながる気がする」との意見をのべられました。
戦争前も「自粛、自粛」ということがあったようです。
この様なことも、取り上げていただければと思います。
●以上で、送られてきた感想文の報告終わります。この映画を見て、私も龍神村の人々が長年にわたって米兵を慰霊する気持ちと行動に強い感動を受けました。ただ、前の「アジア・太平洋戦争」は、アメリカだけでなく、広くアジア諸国とも戦争して、多くの地域に侵略と殺戮を繰り返したことを忘れてはいけません。これらアジアの人々に対する心からの反省と慰霊も大事に思いました。
さて、これは「不屈」復活版の第1号です。これからも事務局一同がんばって続けたく思っていますので、皆様方のご協力をよろしくお願いいたします。
事務局員 木ノ本豊
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不屈支部版再発行
http://itohasmoto.exblog.jp/29512207/
2021-01-09T10:49:00+09:00
2021-05-06T10:09:11+09:00
2021-05-06T09:53:15+09:00
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ご案内
再発行について
支部長 古 倉 伸 二
私たち、橋本伊都支部の機関誌は私自身の力不足もあり、多忙を理由に永らく休刊いたしておりましたが、今年より心機一転して、再発行の運びとなりました。中央や県発行の「不屈」と同様、どうかご愛読ください。
今年の干支、「うし」に負けないよう、役員一同ゆっくりではありますが、心を新たに粘り強く取り組む決意です。読後の感想を含めて、私たちの活動に対してもご意見をお寄せください。
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支部総会
http://itohasmoto.exblog.jp/29512224/
2021-01-09T10:00:00+09:00
2021-05-06T10:11:04+09:00
2021-05-06T10:07:47+09:00
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支部活動
復活第1号 2021.1.9
橋本伊都支部総会
第1部
橋本伊都支部2020年度総会報告
昨年の11月1日に開催の支部定期総会では、県本部より、鶴田会長と南條事務局長の参加を受け、最初に鶴田会長より国賠同盟の果たすべき任務について報告がありました。続いて古倉支部長の「私達を取り巻く情勢」について提案がありました。
支部長の提案を要約しますと、次のようでした。
最初に、7年8か月続いた安倍政権が最も力をいれてきたのは、日本国憲法の改悪だったこと。又、新型コロナウイルスの感染が広がることで、対策が遅れるとともに、GOTOキャンペーンに見られるような対策に逆行する政治姿勢を続けていること。又、このような政治が破綻した結果、安倍政治を継承し、「自助」を強調する菅政権が誕生したこと。
しかし、私達の運動を前進させる力は、安保法制の強行採決以後の5年間、野党間が歩み寄り、市民と野党の共闘が発展していることで、野党間の合意の中心は、自民党政治における憲法改悪反対、安保法制の廃棄、新自由主義からの転換であり、合意の内容が、平和と暮らしを守るものに発展している事です。私たちは、市民と野党の共闘による政権交代が実現することをめざします。
これは、「再び戦争と暗黒政治を許すな」を、スローガンに掲げてきた国賠同盟の運動と一致するものであり、政治を変える大きなうねりが起こっていることに確信をもって頑張ろうではありませんか。
● 活動の具体的計画では
1 署名活動では、人口比1パーセントの超過達成をめざしましょう。
2 同盟員拡大では50名を目標としつつも、当面3名の拡大に全力をあげましよう。
3 女性の同盟員を積極的に増やして、女性班の設立をめざします。
●役員改選により、新役員は次の通りです。
支部長 古倉伸二
副支部長 九鬼 堅 東芝弘明 高本勝次
事務局長 佐々木磐
事務局次長 細川豊三郎 木ノ本 豊
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国会請願に4名が参加
http://itohasmoto.exblog.jp/16855783/
2011-11-19T22:31:00+09:00
2011-11-19T22:36:02+09:00
2011-11-19T22:36:02+09:00
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不屈県版から
和歌山より4名が参加
再び物言えぬ時代にならないようにとの、皆さんの思いのこもった署名を携えて、和歌山から4名(写真)が国会請願に行ってきました。
今年は東日本大震災で、五月の国会請願が延期になり、春の選挙などで遅れていた署名を挽回しようと各支部が頑張り、昨年を上回る合計8242筆となりました。
衆議院会館大会議室での全体集会では、全国から142人が参加し、会長の挨拶に続いて、犠牲者から「私の生きているうちに謝罪して」との訴えがありました。
午後から各県の選出議員に紹介議員承諾の要請に廻り、和歌山選出九名の衆・参議員事務所を訪問しました。昨年改築され、新しく広くなった議員会館の岸本議員の事務所では、秘書の対応もやわらかく、私たちも昨年のお礼をいい、今年もぜひ紹介議員をよろしくとお願いしました。綺麗になった部屋もどうぞ見て下さいと案内して下さる一幕もありました。他の八名の事務所でも、議員は国会開催中でお会いできませんでしたが、秘書の方が丁寧に、でも一部義務的と感じられるところもある対応でした。
持参した署名を分けてそれぞれ預けたのですが、受け取らない方が二名と、政府委員になったので紹介議員にはなれないからと一名から断られました。検討のうえ、返事は後日です。
毎年の国会請願ですが、紹介議員をお願いするには、やはりもっと沢山署名を積み上げないと効果はないのではないかと思いました。
また、集会には各政党に挨拶かメッセージをお願いしていましたが、前日に社民党から国会中で忙しく出席できないが、議員には訪問の件指示していますとの連絡があり、出席は日本共産党の井上哲士・宮本岳志の両議員で、激励のご挨拶がありました。
(事務局長 H ・ N子)
不屈 和歌山県版 №243 (1) 2011.11.15
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支部総会
http://itohasmoto.exblog.jp/16855658/
2011-11-15T22:15:00+09:00
2011-11-19T22:19:52+09:00
2011-11-19T22:17:42+09:00
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不屈県版から
一〇月ニ八日、橋本・伊都支部の総会が開らかれました。古倉支部長は挨拶の中で、「今の情勢に比べると同盟はまだまだ力不足だ。自信をもって活動できるよう、学習活動を強化しよう」と呼びかけました。
討議の中では、県下でいち早く署名目標を達成したことを確信に、来年早々同盟がイニシアチブをもって大衆的に学習会を成功させることを確認しました。
総会で選出された支部役員は次のとおりです。
支部長 古倉 伸二
副支部長 九鬼 堅
事務局長 佐々木 磐夫
事務局次長 細川 豊三郎
不屈 和歌山県版 №243 2011.11.15 (2)
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犠牲者慰霊祭 清水寺
http://itohasmoto.exblog.jp/16855741/
2011-11-15T21:24:00+09:00
2011-11-19T22:29:15+09:00
2011-11-19T22:29:15+09:00
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不屈県版から
◆京都清水寺・大講堂・円通殿で10月23日、「治安維持法犠牲者慰霊祭」が行われた。堂内におごそかな演奏と読経が響き渡る下で進められた。これは、戦後六六年を経て初めての催しである。諸外国に比して、いまだ遅々として「弾圧犠牲者」への謝罪と、国家賠償を含めた名誉回復が進まない現状に一石を投じる催しである。◆恒例となっている国会への請願行動は、「大震災」などの事情により一一月九日になった。全国的に署名目標達成とその上積みが急がれる。この「署名」と「請願行動」を展開し、前進させる重要性は今さら論を待つまでもなく、国賠同盟の正面の課題である。◆とはいえ、いま治安維持法・犠牲者の物故者が増え、存命者が少なくなる下で、国賠同盟の存在意義が問われつつある。アジアに生きる日本に、かっての侵略戦争に反対した少なくない先人がいたことを顕彰し、その存在をわが国以外に明らかにすることは、国賠同盟の今日的な一つの運動方向を示唆しているのではなかろうか。◆各都道府県レペルでの取り組みを創意ある形態で広げることが必要ではないだろうか。
不屈 和歌山県版 №243 2011.11.15 (2)
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歴史の記憶に関する法
http://itohasmoto.exblog.jp/16855875/
2011-11-01T22:39:00+09:00
2011-11-19T22:48:35+09:00
2011-11-19T22:48:35+09:00
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討議資料
スペインを再び訪ねて
「歴史の記憶に関する法律」の
その後と日本国憲法9条の碑を見る
吉 田 好 一
治安維持法国賠同盟と共催で
私は、本誌「治安維持法と現代」二〇〇八年秋季号に「反ファシズムの集大成 スペイン『歴史の記憶に関する法律」と題する文章を掲載させていただいた。そのなかで、「歴史の記憶に関する法律」(以下、「記憶法」と略)の内容や成立した経過について簡単に書いた(注参照)。
この法律を知ったのは、国連拷問禁止委員であるスペインのマリーニョ・メネンデスさん(カルロスⅢ世大学教授)を通してであった。
二〇〇七年五月、拷問禁止条約第一回日本政府報告書蜜査については、本誌二〇〇七年秋季号に、国際人権活動日本委員会など四団体の「意見」が、二〇〇八年秋季号には、拷問禁止委貝会の「結論と勧告」が掲載されている。改めて本誌編集部のご努力に敬意を表したい。
本文は「記憶法」のだたかいが、その後どうなっているのか、二〇〇九年四月{国際人権活動日本委員会主催}と今年六月一一六日から七月三日まで、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟との共催によるツアーが企画され、二四名が参加した。その内容をお伝えしたい。
「記憶法」の専門家お二人と意見交流会
六月―八日、マドリッドで、一一年前に訪問したときにお匪話になったメネンデスさんと、同僚で「記憶法」の専門家であるラファエル・エスクデロ教授のお二人と意見交流会(下の写真)が行われた。
最初に私から「フランコの内戦・独裁時代における犠牲者の名誉回復のための『記憶法』は日本でも関心が高い。日本の歴代政府は侵略と植民地支配、国内外の弾圧を反省していない。こういう法律をぜひ日本でもつくりたい。東日本大震災での福島第一原発事故は放射能を世界に撒き散らしている。広島・長崎で被爆国となった日本が、いま加害国になっている。原発をなくし、スペインでも進んでいる自然子不ルギーによる発電についても学びたい」と発言しました
メネンデス教授は「ふたたびお会いできて非常に嬉しい。国連の拷問禁止委員をしている。国運に訴えにきた布川事件が無罪を勝ち取った報告は大変うれしく感じている。三月の大震災にお見舞い申し上げる。スペインには八か所の原発があり、サパテロ社会党政権は閉める計画はないが、新しく作る計画もない。ここ数年太陽パネル、風力発電などが急激に伸びている。フランコによる犠牲者の骨を子孫に返す、先祖の名誉を回復するのは非常に難しい」と述べた。
エスクデロ教授は「一九三六年以来フランコにより一四万四千人が合同墓地に葬られている。「記憶法」は政党ではなく市民団体で問題にし社会党が支持して出来た。国民党(右派)は『昔の傷を広げる』と反対している。次回の総選挙でサパテロ政権が負ければ『記憶法』がなくなるかもしれない。フランコ主義の思想は根強く残っている。特に警察や車隊の中に。フランコの墓も残っている。教科書に共和同政府のことが書かれていない」など、「記憶法」に基づくたたかいの前進が、逆流に抗して厳しいものになっていると話された。
ゲルニカ、グランカナリア島に分かれて
代衣団は二九日よりAコース(一三名)、Bコース(九名)の二つに分かれた。
Aコースはスペイン最古の大学の街サラマンカの「歴史の記憶法資料館」を見学。七月一日にはパブロ・ピカソの壁画で有名なゲルニカヘ。一九三七年四月二六日、フランコはヒトラーなどの力を借りて広島・長崎へっながるゲルニカヘの無差別爆撃を行った。ゲルニカ平和博物館(本誌[日本と世界の戦争博物館]参照)を見学し、空爆の被害者である八八歳のルイス・イリオンドさんの体験を聞いた。
私は、1年前のツアーで、四月二六日にゲルニカに行き、追悼式典に参加した。フランコは「爆撃はアカがやった」と宣伝し、フランコが死ぬまでイリオンドさんもそう思っていたという。
Bコースは、マドリッドから1000キロ離れたカナリア諸島のグランカナリア島を訪れた。グランカナリア島で二番目に大きい街、テルデ市を訪問し、市職員の案内で「ヒロシマ・ナガサキ広場」を訪れ、日本国憲法九条がスペイン語で書かれている碑を見学した。日本でもこうした碑はないのではないかと思う。この碑ができたいきさつは、テルデ市がNATO加盟と軍事基地設立に反対し「非核宣言」を行ったたたかいのときに、非核と平和を求める市民のあいだで日本の憲法が話題になり、一九九六年に広場(ヒロシマ・ナガサキ広場)と九条の碑が建設されたということだ。
日本国憲法9条の碑の前で
スペイン法律家たちと日本人との取組みが
また、グランカナリア島では、ラスパルマス大学のカルメロ・ペレス教授(二年前にも『記憶法』に関ったメンバーということでお会いしている)のお世話で、平和・人権の活動をしているNGO八団体との意見交流会を持つことができた。
ベレス教授は「カナリア諸島にも市民戦争時の三〇〇〇人の遺体が埋められている。『記憶法』の条文は不十分で、日本の憲法のような明確な規定がほしい。スペイン政府の対応も不ト分である」と語り、平和への権利国連宣言をつくるためにスペイン国際人権法協会(ベレスさんはこの協会の事務局長)が日本の学者・法律家とも協力していることを話された。「平和への権利宣言」は、日本国憲法九条だけでなく、憲法前文の平和的生存権を高く評価し、それを盛り込んだ国運宣言をするよう人権理事会への取り組みを行っている。
ペレス教授から日本の書籍のカバー・をコピーしたチラシを渡された。「平和への権利を世界に」(かもがわ出版)笹本潤(弁護士、国際民主法律家協会事務岫長)・前田朗(国際人権活動日本委員会、東京造形大学教授)編著の本である。お二人ともジュネーブで活躍している。八月の人権理事会諮問委員会の前に、ジュネーブで「人民の平和に関する専門家協議会」を開催し、笹本さん、前田さんと塩川頼男さんが事務局を担当したということである。諮問委員会では、前田さんと笹本さんが、このテーマで発言した。
また、今年の一二月には、「平和への権利を世界に」国連宜言の実施をめざす運動の一環として、スペイン国際人権法協会の会長、事務局長が来日する予定である。
「記憶法」は真実を探求するたたかい
参加したNGOはフ牛和と人権カナリア諸島文化区域の会」「パレスチナ人社会のための女性の会」「難民援助のためのスペイン委員会」「歴史の記憶の会」「『私は女性』の会」など八団体九人で、それぞれの活動の紹介があった。最初に発言した「歴史の記憶の会」のイサベルさんは、「父親が市民戦争で処刑された。テルデの火山の火口に共産党員の遺体が放り込まれた。「記憶法」では遺体を掘り出す許可がでない。行方不明者のリストが不十分である。『歴史の記憶法』のたたかいは真実を探求するたたかいである」と非常に感動的な発言をした。カルメンさんは、父親が社会党・人民戦線に関与し、二〇年の実刑を受けた。自分もフランコ政権に迫害され、四○年前にカナリア諸島に逃げてきた。バスケスさんも弾圧された家族だ。叔父さんは迫害されフランスヘ亡命したが、フランスもナチスの占領下でドイツの捕虜となった。現在も帰国していない。バスケスさん自身は一九五七年に非合法下の共産党員になり、一九七〇年デンマークに亡命。フランコが死亡してからスペインに戻ることができた。
続くNGOの方々の発言も「記憶法」にもとづくたたかいが、いかに困難なものかを語ってくれた。司法も保守的であると。しかし、「記憶法」は無駄、無効ではない、という力強い発言が最後にあった。
近代史の苦しみの中から
『記憶法』に関する二度のツアーで感じたことはこの法律がスペインの近代史の苫しみの中から生まれたものであり、一般市民の力で誕生させるまでは難産だったと聞いている。野党国民党はもとより、この法律を成立させた社会党の中にも「過去の問題を掘り返さなくても」という意見があったりする。次の総選挙でサパテロ社会党政権が倒れればづ記憶法』もどうなるかわからないという心配も聞く。法律に不ト分な点があるとはいえ、治安維持法や横浜~件やレッドーパージなどの大弾圧や侵略と植民地支配について明確な反省も謝罪も補償もない日本にくらべれば『記憶法』を誕生させたスペインの社会は立派である。フランコ派の残党や右翼、保守勢力からはげしい攻撃を受けている中で、『記憶法』の精神をけハ体化し、前進させようとたたかっている学費、弁護士、NGOの活動家と交流できたことは非常に有意義であった。
「日本でも『記憶法』を」という思いを強くし、これからも引き続き「記憶法」を学び、研究していきたい。
(よしだ こういち・国際人権活動日本委員会代表委員)
(注)
歴史の記憶に関する法律
スペインでは、一九三六年に選挙で成立した民主主義的な共和政府を打倒するために、ファシストのフランコ将軍が、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニの力を借りて反乱軍を蜂起させ、一九三九年に終結するまで内戦状態となり、以後一九七五年にフランコが死去するまでので六年間、独裁体制が続いた。この法律は、スペイン内戦や独裁体制の間に、政治的・思想的な理由により迫害された人に対し、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復をする権利を認め、犠牲者、遺族に年金・賠償金を国が支給。犠牲者の発見、遺体の発掘を国が支援するとしている。スペイン内戦に共和政府側の義勇兵として参加した外国人にもスペイン国籍取得の権利を認め、その場合、賠償などが適用される。独裁政権を賛美する公共の記念物の撤去、資料センター設置などを定めている。
絵手紙 (「不屈」和歌山版 2011年5月15日号より)
「治安維持法と現代」 2011年秋季号 112~117頁
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無言館とちひろ美術館
http://itohasmoto.exblog.jp/15203889/
2011-07-31T16:39:00+09:00
2011-07-31T16:42:03+09:00
2011-07-31T16:39:05+09:00
itohasimoto
ツアー
2011年度「不屈」バスツアー
◇とき:10月12日(水)
~13日(木)
◇宿泊:鹿教湯(かけゆ)温泉・ニューかどや
(TEL:0268-44-2016)
戦場に散った画学生たちの絵を展示する無言館。「世界中のこどもに平和としあわせを」と子どもや花を描いたいわさきちひろの美術館。信州の山宣記念碑も訪れます。反戦平和への決意を固め、治安維持法犠牲者を追悼するとともに、深まる信州の秋を満喫し、英気を養いましょう。
無言館
長野県上田市、周りを山々に囲まれた田園地帯の丘の上に、ひっそりとたたずんでいる小さな美術館「無言館」。
静まりかえった「無言館」の扉を押すと、志を果たすことなく戦場に散った画学生たちの声が聞こえてきます。
絵描きになりたいと願いながら、一枚の画布、一冊のスケッチ帖に「生命の証」をきざみこんで戦地に発った若者たち。
「無言館」館主窪島誠一郎さんは、その画学生たちの遺した作品、遺品を全国各地に訪ね、収集しました。
安曇野ちひろ美術館
青春時代に戦争を体験したちひろは、「世界中のこどもみんなに平和と幸せを」ということばを残しています。
ちひろが描いた子どもや花は、今もいのちの輝き、平和の大切さを語り続けています。
97年にオープンした安曇野ちひろ美術館は多くの人が訪れ、いわさきちひろの代表作のほか、初期の素描、水彩、信州との深い結びつきを示す作品など、約80点が展示され、ちひろの画業の全体像に触れることができます。
山本宣治・高倉テル記念碑
29年3月1日、高倉テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き講演会が行われました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼に暗殺されました。抗議の記念碑が高倉テルの借家の庭に建立されました。
◇申し込み:各支部事務局長
または和歌山県本部(TEL/FAX:073-422-7076)
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支部のうごき
http://itohasmoto.exblog.jp/15097235/
2011-07-11T08:26:00+09:00
2011-07-11T08:31:22+09:00
2011-07-11T08:31:22+09:00
itohasimoto
不屈県版から
橋本・伊都支部
決めた目標はいつも確認しあって
橋本・伊都支部では支部役員会を毎月開催し、その都度目標とその時点での到達数を確認し合っています。
私か支部長に就任させてもらってから早や三年になります。最初に申し合せしたのが、①毎年記念講演会を開催して、会員外の人にも参加してもらおう、②メーデーその他民主団体との共催の場に「国賠同盟」の名前を知ってもらえるよう心がける、③署名の取り組みも、例年働きかけている民主団体だけでなく、幅広い市民団体へ呼びかけよう、の三点で、「国賠同盟」が広く市民の中に広がり、市民権を得るためにと、取り組み
ました。
この三点のうち、計画通りに実施できているのは、3・15を記念した講演です。他にメーデー会場への団体旗を掲げての行動やプラカード作製、増税反対一斉行勤の会場へは、今年から胸の前後に“同盟”のゼッケンをつけて、役員五人で大きな声で訴え一人一筆の署名を頂きました。
今後は役員ばかりの行動でなく、広く同盟員に参加を呼びかけ、会員拡大でも成功させたいと意思統一しています。署名の到達点は、個人で一四〇一筆、団体で四一団体です。
(支部長 F ・ S二)
不屈和歌山県版 No.238 (2) 2011.6.15発行
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