日朝友好に生涯をささげた
上甲米太郎顕彰碑
愛媛県八幡浜市で除幕・落成式
反植民地教育運動家として知られている上甲米太郎の顕彰碑が、郷里の愛媛県八幡浜市川之内の上甲
家墓地に完成し、2011年2月25日、除幕・落成式と記念集会が開催された。
昨年9月、地元の教員などで作っている「上甲米太郎研究会」が中心となり、「韓国併合100年」の年に、植民地朝鮮で朝鮮の独立を願い、朝鮮の子供たちと生きようとして、治安維持法により弾圧された上甲米太郎の顕彰碑を建立する計画が提起され、地元・川之内地区の住民の協力もあり、10月「上甲米太郎顕血粟百が設立され、事業が始まった。
この計画は、「八幡浜新聞」「愛媛新聞」などにも大きく紹介され、募金者は北海道から九州まで、3ヵ月間で、約150人から140万円の資金が寄せられた。
ジェームズ三木氏の「被害者意識は誰でも持つが、自分が加害者であることに気づく人は驚くほど少ない。朝鮮人の心を心とし、大日本帝国の植民地弾圧に、一人で立向かった日本人教師がここにいた」の碑文も追加、上甲米太郎顕彰碑が完成した。
1月29目の落成記念集会には、八幡浜副市長橋本顕治氏、日本コリア協会愛媛県理事の佐々木泉氏のメッセージも紹介され、記念講演では、上甲まち子さん(米太郎長女・青年劇場俳優)が「父・上甲米太郎を語る」を話した。(澄田恭一)
不屈 中央版 №441 7面 2011年3月15日(毎月15目発行)
時の焦点
3・15大弾圧事件
3月は国賠同盟にとって特別の意義をもつ月です。
「殺せ、殺せ一え!」、小説『一九二八年三月十五目』の中で多喜二は主人公の渡が小樽署で太い針を身体に刺されても頑張る姿を「うん、うん捻りながら」書きました。
1928年3月15日未明、特高警察による共産主義者、同調者など1600人余の大検挙が全国1道3府27県で一斉に行われ野蛮な拷問と取り調べが行われました。
治安維持法は1925年(大正14)年4月に公布されて以来、日本帝国主義戦争の敗北までの20年間、侵略戦争の反対者と国民を圧殺し続ける「弾圧装置」でした。
治安維持法は、この年の6月には天皇の緊急勅令によって「死刑法」「目的遂行罪」が付与され、翌年の帝国議会で反対の論陣をはった山本宣治は3月5日、神田・光栄館で右翼によって刺殺。続く4月16日の大弾圧。最初は共産主義者と同調者へ、やがて知識人、宗教者にまでおよび、天皇は1936年、共産主義運動圧殺が「完結」したとして特高警察、思想検事ら娼名に叙勲と金銀杯を下賜してその功績を讃えたのです。これらのメンバーは、戦後の断罪が不徹底なため公安警察の復活への足掛かりとして残され、多喜二虐殺の真犯人、警視庁特高・中川成夫は戦後、東京北区の教育長にまでのぼり詰めていました。
今日、革新勢力へのビラまき弾圧、公安警察や自衛隊情報保全隊の暗躍など治安維持法の現代版ともいうべき事態や、教職員への「君が代」起立までチェックする教育委員会、新「防衛大綱」の動的防衛力の導入など、「戦争する国」への国家体制が進んでいます。これらを国民に広く知らせ、戦前、国民を戦争に駆り立て、アジア全体で数千万人の犠牲者を生んだ治安維持法支配体制の歴史的事実を、国民共有の歴史認識にまで高める努力は、同盟活動の基本ともいうべき活動です。この月、各地の取組みの前進を。(藤田)
不屈 中央版 №441 7面 2011年3月15日(毎月15目発行)
小林多喜二没後78周年
全国で多彩に多喜二祭開く
深雪ついて小樽・墓前祭
「記念の夕べ」に280人
小樽多喜二祭は2月20目(日)午後1時半から、前日からの深雪をついて奥沢墓地で墓前祭がおこなわれ94人が参列、宮田汎同盟道本部会長があいさつしたあと参加者が献花しました。
同日夜開かれた「記念の夕べ」ではノーマ・フイルド氏のあいさつの後、島村輝フェリス女学院大教授が「草稿から見る文学の生成-小林多喜二と井上ひさし」と題して、多喜二の草稿ノートに見る苦闘と成長について講演。280人が参加しました。
秋田県多喜二祭
生誕の地碑前祭と講演会
第46回秋田県多喜二祭は2月19日(土)午前、「小林多喜二生誕の地」碑前で献花。午後からは、韓国の李修京(イ・スウギヨン)氏が「韓国で多喜二がどのように受け止められているか」をテーマに講演、170人が熱心に聞き入りました。翌20目には、大館市において同氏による記念講演が行われ70人が参加しました。
ことしも満員の盛況
杉並・中野・渋谷多喜二祭
第23回杉並・中野・渋谷多喜二祭は2月18目(金)杉並区で開かれ、300人が参加。蠣崎澄子氏の「多喜二の足跡を訪ねて」の後、岡部政明氏の朗読「蟹工船」と村上弦一郎氏のピアノ独奏が耳目を集め、文芸評論家の三浦光則氏が「反戦平和と小林多喜二の文学」と題して講演。とりわけ反戦文学の先駆性を語りました。
講演会に250人
大阪
多喜二の生き方に光あてる大阪多喜二祭は2月26日(土)石川康宏・神戸女学院大教授が「小林多喜二の生き方と現代の探
究」と題して講演、多喜二が戦前切り開いた闘いの火が戦後の日本に引き継がれたこと、同時に遅れた思想など、私たちが引き継がねばならない課題があると強調。250人が参加しました。
不屈 中央版 №441 8面 2011年3月15日(毎月15目発行)
「不滅の不屈」に入りました 橋本伊部支部 S ・ I 夫
私は去年一月一七日に、国賠同盟橋本・伊都支部に入会させて頂きました。
名簿を拝見したら、「地方自治を住民最後の砦に」と頑張る各自治体の元・現議員ざん、戦後の一大労働運動史を著された小説家、思想差別とイジメに耐え抜いて企業を定年退職された労働者や先駆的住民運動家等々、その素晴らしさに圧倒されました。何もできない自身ですが、三・一五弾圧、八月一五日敗戦、一二月八日米開戦日が来れば、皆様とともに街頭にに立とうと決意するものです。
浅間山荘・連合赤軍殺人・よど号ハイジャッック事件も、そして今大阪維新の会や名古屋減税党の票泥棒の策動、卑劣な反共攻撃に対して、不屈のたたかいを挑むことは、善き市民の、主権者の、そして良心を授けられて出生した人間の義務であります。
また、目前の地方選挙に際し、勝利祈願から実践行動へと一歩でも踏み出そう、駅ビラも宣伝もカンパもやろうと思います。
(『不屈 橋本・伊都版№8』)
春の陣 足ふみ出そう
不屈 和歌山県版 №234
2011年2月15日
私たちの運動の基本
ふたたび戦争と暗黒政治を許すな。
1 治安維持法体制の復活に反対する。
2 国は、戦前の治安維持法が人道に反する法律であったことを認めること。
3 国は、治安維持法の犠牲者に謝罪乏賠償をおこなうこと。
不屈和歌山県版 No.234 2011.2.15 1面
国賠署名 春の陣
国会請願めざし、大きく足をふみ出そう
♪ 春よ来い、早やく来い ♪
と子どもや孫たちに歌った昔、今は早く暖たかくなって欲しいと願いを込めて歌います。でも、梅の花も咲き、春はどこまで来ているのかと、署名用紙を持って外へ出て見たくなりませんか。
八日、中央常任理事会が開かれました。全国的に署名の遅れが指摘され、平和に逆行する民主党政権のもと、署名を沢山積み上げることが情勢を切り開くことになると論議されました。
情勢報告で、民主党政権に変わっても、政策は変わらず、「日米同盟の深化」を誇らしげに言う菅首相の「戦争する国」づくりと併せ、北海道、東京、神奈川からは教育へ対する「日の丸」「君が代」をはじめ様々な攻撃が強くなっていることなどが発言されました。そしてこの情勢と闘うことは、歴史認識を正す我々の運動を強めること。そのためには、同盟自身が歴史認識の学習をすることが大切だと強調されました。
また、若者への話しかけは、憲法九条を守る大切さを入口にして、治安維持法下の命がけで闘った人がいたこと、憲法の礎を築いたことなど語りかけるごと討論されました。
和歌山県同盟も、署名が大変遅れています。選挙で平和を守る陣営を大きくする運動とともに、多くの人に署名を訴えて前進しましょう。
2011/02/15 不屈和歌山県版 №234 1面